大野英子さんの講演 「共謀罪」はものが言えなくなる「治安維持法」に似ている
4月22日、埼玉土建熊谷支部の主婦の会総会にお邪魔しました。そこで大野英子さんのお話を聞くことができました。大野さんにはお会いしたことはありませんでしたが、私が障がい者施設で働いていた時、「みんなの願い」という雑誌に「明日天気になーれ」という題で障害児学級の子どもたちのことを連載で書いておられました。毎月楽しみにしていたことを思いだします。
司会が「95歳の大野さんです」と紹介すると「まだ95歳ですよ」と言われ、どよめきが起きました。そんな大野さんは大正天皇と昭和天皇を比較して話されました。
大正天皇は平和天皇だった。大正デモクラシーはたった15年で終わったけれど女性の仕事も増えていった。昭和になり、治安維持法ができ、3人集まれば結社の自由に反し、目つきが悪いというだけで殺されたり、流行歌もダメで軍歌を歌えといわれた。戦争反対を掲げた共産党の取り締まりが始まったが、生活つづり方の教育を行っている教師も、見せしめで子どもたちの前で捕まった。大地震があったときボランティアに行った人たちも捕まった。「そんな暇があったら天皇陛下のために働け」と言われた。教員だった時、先生同士で子どもたちへの教え方を話し合っていたら「共謀している」と校長から言われ、星に関する授業があったので夜星を見ていたら、「交信している」と言われた。
妹を育ててくれたあんちゃんはある日忽然といなくなったが、そのあとで特高警察が家に来て家宅捜査をした。あんちゃんは詩のサークルに入っていて反戦の詩を書いていたようだ。あんちゃんは作品を実家に送り、実家で燃やされ、最後にはあんちゃんは自殺をしたことが後で分かった。
今国会で審議されている「共謀罪」は当時の治安維持法に似ている。私たちは気が付いた時にはものが言えない状態だった。でも今はまだ間に合う。こうして集まることができる。今なら間に合う。
今なら間に合う」と何回も話された大野さん、あんちゃんが今無名戦士の墓に入れてもらったことに安堵していること、「共謀罪」を通してはならない、昭和のあの時代に戻してはならないことを私たちに訴えられた。「まだ95歳だから、わたしも頑張るよ」と言わんばかりに。
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(「桜井くるみ日本共産党熊谷市議ブログ」4月23日付より)
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