5月4日 「閖上」への訪問
2011年3月11日の東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県名取市閖上(ゆりあげ)。震災から2年だったか夫が閖上に行ったときには朝市どころかまだ何も進んでいなかったという「閖上」に行こう、と家族で休みを調整し出かけました。港の朝市で朝ごはんを食べたいねと夜明け前の3時半に家を出ました。
朝市は活気がありましたが、周りは住宅が建てられない地域のため、コンクリートの土台だけが残っていました。慰霊碑が近くに建てられていましたが、又その傍に「閖上の記憶」と書いたプレハブがあり、入ってみました。この建物は、閖上中学校の遺族(14名の生徒が亡くなったそうです)が建てた慰霊碑の社務所でした。
語り部さんが説明をしてくれました。津波によって多くのものを失った方にとって、記憶が整理されないと立ち上がれない、内に内に心が向いていると前に進めない。だからこそ言葉にしたり、文章にしたり、絵にしたりなど外に出して整理していく必要がある・・・もちろん時間のずれは人によって違う・・何年もかかる人もいる。そのためにこの場を継続させたい・・・そんな話を聞きました。
集まって前を向き始めた女性たちが作った毛糸のキーホルダーと津波当日も含めた閖上の前を向き始めた資料映像DVDを購入してきました。津波の被害からの復興と街づくりの課題、そうそうは解決しないものだと改めて考えさせられました。かさ上げされた地域に住宅は立ち始めていたけれど、戻ってこれない事情の方もいるし、人口は減るし、低い土地を今後どうしていくのか・・・。
7月には、共産党後援会主催で福島へ行く計画を立てている。
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(「桜井くるみ日本共産党熊谷市議ブログ」5月4日付より)
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